グレイディーアの欲2

 廊下に人の気配を感じることがなくなった二十三時頃、グレイディーアがドクターの自室にやってきた。先ほどと同じノックの仕方。今度はドクターがドアを開け、彼女を部屋へ招き入れた。
「お邪魔致しますわ」
「ん。そこに座ってて。えーっと、何か飲みたいものある?」
「お構いなく」
「そういわれてもね……」
 客人なのだ、もてなさないわけにはいかない。

「美味しいかわからないけど……」
 質素な白いティーカップに赤いローズヒップティーを注ぐ。このハーブティーを初めて飲んだときは、その華やかな香りとは裏腹の酸味にびっくりしたものだ。今は慣れたもので美味しいと感じるが——そんな風に思ったものを出して平気だったろうか。今更ながら不安になる。
「いただきますわ」
 ティーカップに口をつけ、こくりと小さく喉をならす。味について言及はなかったが、少しだけ表情が和らいだように見える……気がするので、不味くはなかったのだろう。
 飲み物を飲んでいるだけなのに、グレイディーアはとても美しかった。見ているこちらも自然と背筋が伸びてしまう。
「それで、要件は?」
 グレイディーアからどんな悩み事が出てくるのか、全く想像がつかなかった。普段何をしているのか分からないし、よく一緒にいるのはスカジやスペクターくらいで……。まさか友人が出来ないという相談だったりしないだろうか。もしそんな相談ごとだったら、なんと返せばいいのだろうか。それとも、普段の仕事が遅いと言われたりするのだろうか。まさか、自分のことが好きと言ったり——
「ええ、ドクターの性処理をしようと思いまして」
「ふむ、なるほど」
 性処理か。確かに相手はいないから一人で済ませることばかりだ。たまに仕事中にムラムラして執務室で抜いてしまう時もある。ここでグレイディーアが相手をしてくれるなら、少しは欲求も解消されるかもしれない。名案だと思う。なにせこんな風に話を切り出してくるオペレーターは他にいないし。
「何言ってんの……」
「あら、良い提案だと思いますわ、ドクター。特定の相手はおらず、仕事中に自慰を行うくらいなら、私がお相手致しますわ。そうすれば少しは気も晴れましょう」
「な、なんで仕事中のことを……」
 グレイディーアは「匂いでわかりますわ」と切れ長の目を少し細めて言った。口元はなんだか嬉しそうだ。そうか、窓を開け、消臭スプレーをふりまくだけでは不十分だったか。そうなるとやはり仕事中に抜くのはよろしくないだろう。……当たり前だが。
「あー、確かに仕事中にするのは良くないよな……。それは反省するし、今後はしないようにするよ。だから相手をするとかそういうのは……」
 言い終わる前にグレイディーアは椅子から立ち上がり、こちらへ身を寄せてきた。手を背もたれにかけ、顔と顔があっという間に近づいた。グレイディーアの口から良い香りの息が微かに漏れる。先程飲んだローズヒップティーとは違うものだ。何の匂いだろう……。
 そう逡巡しているうちに、グレイディーアの唇がドクターの唇へ重なった。心臓がドクンと強く脈を打つ。薄いが、柔らかい感触。優しい……とは言えない、割と力強い口付けだった。後頭部と顎を手で押さえられ、にゅるりと舌が入ってくる。唇を閉じようにも、その力強さにはとてもじゃないが抗えなかった。
「んぐっ……っ‼︎」
 口の中を舌で掻き回される。舌の腹をなぞられ、歯の裏も舌で弄ばれる。それよりも気になるのは、舌と一緒に入ってきた謎の粒だ。錠剤だろうか。そんなに大きくなく、糖衣なのか甘い。グレイディーアの息と同じ匂いがするが、ああ、この匂いなのか。
「む゛ぅッ!う゛う゛!」
 何か分からないものを飲み込む訳にはいかないと、懸命に押し返すが、グレイディーアに力で敵うはずもなかった。まさかディープキスでそう思うことになるとは思ってもいなかった……。
 どうやらこの錠剤を飲ませたいらしい。
 飲むまでこのキスは終わらないだろう。流し込まれる唾液でだいぶ飲みやすくなっているが、ダメだ、飲むわけには……。
 そう抗ってみたが、喉が勝手に唾液を飲み込んでしまった。一緒に錠剤も流し込まれたのか、口の中にある異物はグレイディーアの舌だけになった。
 その舌は口の中を隅々まで舐め回してきた。錠剤が残っていないか、舌の裏、頬と歯の間……。先程は驚いて気にする余裕もなかったが、改めて意識すると、グレイディーアの舌は熱く、柔らかい。
「は……」
 ようやく唇が離れる。無理矢理錠剤を押し込んで来た彼女の顔は、変わらず凛々しいままだ。口元が涎で濡れているのがなんだからしくない。
「おま……、何を……」
 飲ませた、と言葉に出来なかったが、何を言いたかったのか理解したようで、「精力剤ですわ」とあっけらかんと言い放たれた。
「即効性があるものらしいので、すぐ元気になると思いますわ」
「らしいって……」
 唇を舌で舐め、指で軽く口元を拭う仕草がいやに扇情的に見えるし、ドクターを見つめてくる赤い宝石のような瞳に吸い込まれそうになる。

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